松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

「道をひらく」松下幸之助

道をひらく
道をひらく
posted with amazlet on 06.10.15
松下 幸之助
PHP研究所
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おすすめ度の平均: 4.63
5 いろいろ考えさせられる本・・・
5 味わい深い
5 中学校の教科書にしてください。
【私の評価】★★★★☆


■著者紹介・・・松下 幸之助

 松下電器、パナソニック創業者。
 1894年生まれ。1989年永眠


●私は、カセットテープ版の『松下幸之助 経営百話』※を
 持っています。
 車で移動するときに、このテープをなんども聞いているわけです。


●そして、一番感慨深いのは、女性のナレーターが、
 この「道をひらく」にある「道」を読み上げることころなのです。
 なんどウルウルしたことか。

 ・自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
  どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか
  歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広い時もある。
  せまい時もある。・・・(p10)


●松下幸之助本人がしゃべっているわけではなく、
 女性のナレーターが話しているのに、心に感じるものがあるのです。

 松下幸之助の基本は、使命感を持って生きようとうものであり、
 この「道」の語りは、それを最もよく表現しているといえるでしょう。

 ・志を立てれば、事はもはや半ばは達せられたといってよい。(p14)


●本でもテープでも、やはり繰り返して読む、聞くことで、
 松下幸之助の心が伝わってくるのだと思います。

 この本も繰り返して読んでいただきたい一冊ですので、
 ★4つとしました。


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。
  勤勉である。だが、今までよりも一時間少なく働いて、
  今まで以上の成果をあげることも、また尊い。そこに
  人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。(p147)


 ・命じたからには、これを追求しなければならぬ。
  どこまでもトコトン追求しなければならぬ。
  それが命じた者の責任ある態度というものであろう。(p189)


 ・やっぱり大事なことは、他人の評価もさることながら、
  まず自分で自分を評価するということである。自分のしたことが、
  本当に正しかったかどうか、・・・素直に正しく自己評価すると
  いうことである。(p99)


 ・こどもの心には私心がない。とらわれがない。いいものはいいし、
  わるいものはわるい。だから思わぬものごとの本質をつくことが
  しばしばある。(p46)


▼引用は、この本からです。
道をひらく」松下 幸之助、PHP研究所(1968/5)¥914
【私の評価】★★★★☆


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読んでいただきありがとうございました!

【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。