松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

経営者の教科書―実践しなければならない経営の基本100 |江口 克彦

経営者の教科書―実践しなければならない経営の基本100
江口 克彦
PHP研究所
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おすすめ度の平均: 5.0
5 これが経営の本質

【私の評価】★★★★☆


■著者紹介・・・江口 克彦(えぐち かつひこ)

 1940年生まれ。大学卒業後、松下電器に入社。
 その後PHP研究所。1976年より経営を任され、
 2004年に代表取締役社長。
 松下幸之助晩年の22年間、つねにその側で仕事をし
 日々の交流のなかで薫陶をうけた。


●PHP研究所の経営関係の本は、地味な本が多いのですが、
 この本もそうした一冊です。

 なぜ地味かというと、当たり前のことを当たり前に行うということが
 経営だからでしょう。
 

 ・松下幸之助の成功の要因は何であったのか。・・・
  ごくごく「当たり前」の要因であった。たとえば、熱意を持つこと、
  努力すること、誠実であること、思いやりの心あること、・・・(p68)


●とはいえ、長年、松下幸之助の側で仕事をした著者の伝える
 松下幸之助の言葉は、至宝の光をはなっています。

 松下幸之助は、感動を与える名人だったのでしょう。

 ・松下幸之助は相手の目をじっと見つめ「今回の仕事、きみはようやった」
  と心の底からほめてくれる。時には家に帰るとまた電話がかかってきて、
  「きみはえらいな」「ようやった、大成功やったな」と、またほめてくれる。
  (p113)


●松下幸之助は、経営とは教えても教えることのできないもの、
 伝えることが非常に難しいものであると言っています。

 この一冊ではとても伝えきれない経営のコツですが、
 この本で少しでも学んでいきたいものです。

 ・松下幸之助は無理を嫌った。「きみ、無理はあかん、
  無理したらあかんよ」と、私はよく教えられたものだ。
  (p44)


●わかる人にはわかる。地味ながら充実した一冊です。
 経営者、経営者を目指す人にお勧めします。★4つとしました。



■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・長く成功し、社会的にも尊敬を受けている経営者に会うと、
  必ずと断言していいが、その謙虚さに感心させられる。(p24)


 ・部下を感動させることができない経営者は、
  経営者たる資格がない。
  感動を与えることのできない経営者は、
  それだけで経営者失格である。(p35)


 ・松下は絶えず、「正しい仕事をしているか」
  「何が正しいか、よく考えて進めているか」と
  口グセのように言っていた。(p40)


 ・「長」のつく人間の責任は三つある。
  一つ目は自分のグループの仕事をやり遂げる責任、
  二つ目は自分の下にいる人材を育てる責任、
  そして三つめは新しい仕事を創造していく責任である。(p90)


 ・将来から現在を考えるのが経営者の発想、
  現在から将来を考えてはいけない(p154)



▼引用は、この本からです。
経営者の教科書」江口 克彦、PHP研究所(2006/1)¥500
【私の評価】★★★★☆

【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。