松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

「若さに贈る」松下 幸之助

若さに贈る (PHP文庫)
若さに贈る (PHP文庫)
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松下 幸之助
PHP研究所
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おすすめ度の平均: 5.0
5 現代社会の忘れ物をもらいに。
4 王道の勤勉、誠実な生き方の大切さを述べています。
5 小僧時代の丁稚奉公の話・・・泣けました
5 若さとは?
5 本好きでない私が、初めて2回以上読んだ本です
【私の評価】★★★★☆


■著者紹介・・・松下 幸之助(まつした こうのすけ)

 松下電器創業者。


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●1966年に松下幸之助が書き下ろした一冊です。

 1965年には松下電器が各社にさきがけて週休5日を導入し、
 世界進出を視野に事業を拡大している時期ですから、
 松下が最も油がのっていた時期とも言えるでしょう。


●この本で特に目立ったのは、
 松下幸之助の( 成功の定義 )です。

 自分の適性を知り、適性の合った仕事に打ち込み
 自分を使い切るということが成功であると何度も繰り返しています。

 自分に適性がないと判断すれば、
 いくら抜擢されたとしてもそれを断るくらいの自己認識が必要であり、
 それを間違えば自分の失敗であるばかりか、
 社会の損失にもなるという考え方です。

 ・自分の適性に従って最善に生きる。単なる名利にとらわれず、
  あなたの、ほんとうの人生を生き抜く──そうして生き抜きえたひとが、
  つまり人生の成功者だとわたしは信じています。(p104)


●松下幸之助は、常に( 人間 )というものを、
 そして人間が作り上げる( 社会 )というものを
 理解しようとしていました。

 それは、松下が丁稚時代に世の中の厳しさを知り、
 だからこそ、より深く理解しようとしたのではないでしょうか。

 ・たとえ紙一枚にしても、その裏にひそむ、
  そのもののねうちに思いをいたすならば、
  なかなか平気で捨ててしまうことはできない。・・・
  それというもの、あの七年間の奉公時代があったからだと思うのです。
  (p25)


●松下幸之助の考え方には、
 「素直」「信念」「天地自然の法則」などのキーワードがありますが、

 その根本には、( 誠実で熱心であることが人を引き付ける )、
 ( 傲慢になれば敵を作る )というような
 人と社会の原理・原則を理解したうえで、
 行動することが大切であると考えていたようです。

 ・ともすれば怠け心が起こるのがこわい、傲慢になりがちなのがこわい。
  ・・・そういう意味のこわさを感じ、おそれをいだき、身を慎む。
  この態度のない、いわゆるこわいもの知らずは、結局、身を滅ぼす
  ことになります。(p127)


●松下の経営に対する考え方は、『CD 松下幸之助 経営百話』に詳しいですが、
 この本だけでも、その思いが伝わってくると思います。

 松下の人間・経営に対する考え方を伝える良書として
 ★4つとしました。

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■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・第一歩は食うためであった・・・
  第二歩で誠実の必要を知った・・・
  そして知る──事業は世の中のものだ(p135)


 ・自分の職場を自慢しなさい・・・はじめから、いかんときめてかかるか、
  いいところだとまず宣言し、まずい点は、これからの努力で改善できる
  という気持ちをいだいて臨むか、その二つによって、仕事に対する
  姿勢に天地のちがいが生じてくると思います。(p111)


 ・たとえみんなの意見できまったことであっても、自分には
  どうしてもできないと思ったら、「わたくしは反対です。
  ・・・わたしは長としてその責任を負えませんから辞職します」
  というくらいの信念をもつことが、わたしは必要だと思います。(p80)


▼引用は、この本からです。
若さに贈る」松下 幸之助、PHP研究所(1999/03)¥500
【私の評価】★★★★☆


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本のソムリエ公式サイト発行者の日記

【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。