松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

「わが師としての松下幸之助」高橋荒太郎

わが師としての松下幸之助
高橋 荒太郎
PHP研究所 (1994/09)
(評価:★★★☆☆)

●大きくなった会社には目立たないがトップを補佐する大番頭がいます。
 トヨタには磯村巌、ホンダには藤沢武夫、そして松下電器には高橋
 荒太郎がいました。


 ・松下幸之助は社員を君づけで呼んでいた。しかし、ただ一人、高橋荒
  太郎さんにはさんづけであった。(p219)


●ただひたすら松下の基本方針に従って経営するということを貫いた人
 ですが、実際の経営において、それは非常に難しいはずです。時には、
 会社存続の危機に陥る場合もあるでしょう。


 ・世間ではヤミ物資に流れるような売り方をしていたところもあった
  だろうが、松下電器は、そうしたヤミ行為を社員に認めるようなこと
  は絶対にとらなかった。(p80)


●会社のビジョンは形だけで、実際の活動とが乖離している会社が多い
 なかで、素直な心で基本方針に従って物事を判断するという生き方も
 あるのだなと考えさせられる一冊でした。



■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・私が海外事業でも利益が上がらないことに対してやかましくいうのは、
  相手国に正しく貢献できるような経営をやっていれば、必ず利益は上げ
  られると確信しているからである。利益を上げられないということは、
  逆に言えば、相手国に対して何も貢献していないということである。
  (p116)


 ・材料の相場も知らずに、仕入れたものに対してただ代金を支払っている
  というのでは、ほんとうの経理の仕事をしているとはいえない。材料
  がどう動き、どう生産され、それがコストにどう影響するかまで、
  しっかり把握するのが経営経理である。(p186)



「わが師としての松下幸之助」高橋荒太郎、PHP研究所(1994/09) ¥1,680
(評価:★★★☆☆)




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【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。