松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

「松下幸之助の見方・考え方」

松下幸之助の見方・考え方―ビジネスの王道はこうして歩め!
PHP研究所 ピーエイチピー研究所=
PHP研究所 (2006/11)
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おすすめ度の平均: 4.5
5 もう最高です。起業した人志す人読んでください!
4 やっぱり松下幸之助はすごい

【私の評価】★★★★☆


●松下幸之助の本を読むと、涙が出たり、
 体の芯が震えるような感覚に陥ります。

 それはなぜなのか?

 それは、松下幸之助のエピソードから、個を超越した公を考える
 松下幸之助の思想が伝わってくるからではないかと考えています。


●この本は、そうした松下幸之助の考え方を、
 社員が体験したエピソードや、松下自身の言葉によって、
 分かりやすく教えてくれる一冊です。

 現場にいく事務屋さんには、「工場の中に机を置け」
 という。

 販売課長には「会社を辞めて、しるこ屋になれ」という。

 突飛な発言のなかに、
 松下幸之助の真剣さが見えてきます。

 ・きみ、製造部長として事業部へ行ってくれんか・・・物づくりを
  勉強してもらうんやから、事務所あたりに机をもっとっちゃいかん、
  工場の中に机をもちこんで仕事をすることや(p53)


●松下幸之助は、成功の要諦は成功するまで続けることにあると
 喝破していますが、
 その努力は並大抵のことではなかったのでしょう。

 それは、部下にいかに成長してもらうのか、
 いかに自分の考えを伝えるのか、常に考えていたようです。

 ・きみが電熱担当の課長か・・・きみ、あしたから会社をやめてくれ・・・
  会社をやめて、しるこ屋になれ・・・まずあしたから何をやるか・・・
  しるこ屋の店主としても、毎日これだけの努力をせねばならない。
  きみは電熱課長として、何千円もの電化製品を売っている。だから
  しるこ屋の百倍、二百倍もの努力をしなくてはいけないな。
  そのことがわかるか。(p69)


●写真、イラストなどが入って、非常にわかりやすい一冊です。

 100万部以上売れて、100万人以上が感動しますように
 と祈りながら、★4つとしました。

─────────────────

■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・頂戴した利益は無意味にこれを使うわけやない。よりよき
  再生産のためにこの資金を使っていく。その一部は従業員の
  生活向上に回す。一つは設備に回す、一つはまた、社会へ
  還元していろんな寄与にもする。・・・そういう尊い使命が
  あるために、利益を求めるということが許されるわけである。(p35)


 ・PHP研究所を創設した・・・戦後の・・・道徳の乱れ、人心の荒廃
  ・・・“正直に、誠実に働いている人間が
  なぜこれほど苦しまなければならないのか。人間には本来、
  平和で幸せな生活を実現する力が与えられているはずである。・・・
  この世に物心一如の繁栄をもたらすことによって、
  真の平和と幸福を実現する道を探求しよう“(p24)


 ・困っても困らないこと。
  困難を困難とせずに、思いを新たに決意固く歩めば、
  困難がかえって飛躍の土台石となる、というのである。(p83)


▼引用は、この本からです。
松下幸之助の見方・考え方」PHP研究所(2006/12)¥840
【私の評価】★★★★☆

■関連書評■
a. 「若さに贈る」松下 幸之助
【私の評価】★★★★★

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【私の評価】★★★★☆


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本のソムリエ公式サイト発行者の日記

【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。