松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

「志を教える」上甲 晃、致知出版社(2005/5)¥1,365

志を教える―松下幸之助の人づくり
上甲 晃
致知出版社 (2005/05)
売り上げランキング: 8,849


【私の評価】★★★★☆


■著者紹介・・・上甲 晃(じょうこう あきら)
 
 1941年生まれ。1965年松下電器産業に入社。
 1981年松下政経塾に転勤し、1995年まで同塾塾頭。
 1996年松下電器産業を退社後、(有)志ネットワーク社設立。
 1997年青年塾を創設。「志のみ持参」など著書多数。


●よく「「志」を持って仕事をしなさい」と言いますが、
 この本では、15年間松下政経塾の塾頭をつとめた著者が、
 松下流の「志」を教えてくれます。


●「志」については、この話が参考になるでしょう。


●大正の終わり、事業で成功した松下幸之助は、
 当時数少ないパッカードという外国製自動車を購入し、
 乗り回すまでになりました。

 ところが、すべてが満たされてみると、
 どうも仕事に力が入らない。
 松下幸之助は小成功病というスランプに陥ったのです。


 ・今まで一所懸命働いてきたけども、なんとなく自分の思うことが
  全部実現していくと力が入らんのですわ(松下幸之助)(p35)


●そうしたとき、松下幸之助は知り合いから、
 天理教の本部へ行くことを勧められました。

 そして実際に天理教の本部に行ってみると、そこでは無給でありながら、
 多くの人が生き生きと仕事をしているのです。

 松下幸之助は驚きました。

 「私はお金を払って従業員に仕事をしてもらっているのに、
  仕事は苦労することばかりである。
  それに対して、こちらは無給なのに、生き生きと仕事をしている。
  この違いはどこにあるのだろうか?」


●そして、松下幸之助に、ある考えがひらめいたのです。

 そうか!あの人たちの仕事には、崇高なる使命がある。
 人間は、崇高な使命を持てば、それに向かって熱心に働くのである。

 はたして、自分の事業に、崇高な使命はあるのか・・・。

 そして、松下幸之助は、幹部社員を集めて、自分が考えた使命を
 発表し、その日を松下電器の新たな創業記念日とします。

 ・「松下電器はこれから二百五十年かけて世界から貧乏を追放する」
  (p41)


●それから1000人程度の中小企業であった
 松下電器の業績は驚くほど上昇し、
 今の松下グループにまで成長していくのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●後年、松下幸之助は、松下政経塾を作ったように、
 政治に興味を持っていました。

 国家の運営も一つの経営であり、
 政治家こそが国家の経営者であると考えたのです。

 ・新しい人間観に立つ、国家百年の計を持った政治家が欲しいんや
  (松下幸之助)(p23)


●適切な経営力を持つ政治家を持てば、
 日本は素晴らしい国になっていくという確信があったようです。


●「志」とは何か?という問いに、最高に答えてくれる一冊です。
 ★4つとしました。



■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・松下幸之助の発言の中で大変印象的だったのは「日本はこれから
  大繁栄の時代に入るんや」ということを繰り返し言い続けていた
  ことです。二十一世紀に日本は世界の繁栄のど真ん中に立つ。
  それが大きな歴史の巡り合わせである。(p25)


 ・「ここのトイレは汚いな。誰か掃除をする人はいないのか」
  と口で言っているだけの人よりも、「ここのトイレは汚いから、
  私が掃除をしておこう」とすぐに腕まくりして、掃除を
  はじめる人は魅力的です。(p219)


 ・われわれが子供や孫や曾孫に残せるものは一体なんだろうかと
  問い掛けられたらどう答えるか。・・・生きざまを残すことだと
  『後世への最大遺物』の中で内村鑑三はいっているのです。(p49)

▼引用は、この本からです。
志を教える」上甲 晃、致知出版社(2005/5)¥1,365
【私の評価】★★★★☆
(詳細はコチラ: http://www.1bk.biz/kokorozasi.html )←(click!)



楽天ポイントを集めている方はこちら



【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。