松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

「君に志はあるか―松下政経塾 塾長問答集」松下幸之助、PHP研究所

君に志はあるか―松下政経塾 塾長問答集
松下 幸之助
PHP研究所 (1995/10)
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【私の評価】 ★★★★☆:買いましょう。素晴らしい本です


■著者紹介・・・松下幸之助

 1894年生まれ。1989年永眠。松下電器創業者。

●松下幸之助九十歳のときの、松下政経塾での
 塾生との問答集です。


●当時の日本はオイルショックを経験し、赤字国債を発行し始め、
 累積赤字が70兆円となろうというときです。
 (現在の累積赤字は700兆円)

 すでに、この段階で松下幸之助は、このままでは国家財政は破綻すると、
 指摘しています。

 ・毎年税収が足りなくて、赤字予算を組んでいるでしょう。オイル・
  ショックのあと、そういう姿になったのですね。・・・国債という
  形で借金をして、足りない分をまかなっていますが、それがもう
  七十兆円にもなろうとしているでしょう。このままいったら、財政
  破綻ですね。(p98)


●松下幸之助は常に「今、自分は、なにをすべきか」ということを
 自分に問うているように思います。

 86歳の松下幸之助は、これからは国の経営を行う
 政治家の育成が重要であると判断し、
 そのために松下政経塾を設立したのでしょう。


●政治の世界では、政党間で批判し合う傾向にありますが、
 相手政党を褒めてあげてはどうか、
 それが人の支持を勝ち得るコツであると松下幸之助は提案しています。

 さすが商売の神様だと感心しました。
 (今でも、テレビなどでは他の政党を批判し合っていますね・・・)


 ・将来諸君が立候補したら、反対党をみんなほめてみたらどうでしょう。
  前に言ったように、そういういいところを集めて、よく吟味した上で、
  おいしく味つけして、国民のみなさんに提供する。(p39)


 ・私は長い間、企業の経営にかかわってきましたが、相手をクサしたことは
  一度もありません。「甲さんの品物もよろしおます。乙さんの品物も
  よろしおます。けれどもそういうことも、ちゃんとうちの品物のこの中に
  入っています」ということで売ってきたわけです。(p40)


●私は松下幸之助の本はほとんど読破していますが、
 松下幸之助と塾生との会話が記録されている本書は、
 松下幸之助の生きた言葉を読むことができ、
 新しい松下幸之助観を持つことができました。

 ・仮に、その人が自分の仕事に生きがいを感じられないというように
  不平を言ったら、「その不平はまちがっている。あなたの仕事の結果
  はこういうふうに世間に役立っているのですよ。だから、非常に尊い
  仕事なんですよ」と、言ってあげる。そういうことが言えないと、
  人と指導することはできませんね。(p62)


●古い本ではありますが、松下幸之助の深さを知ることの
 できる良書だと思います。★4つとしました。


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・私は、失敗するかもしれないけれども、やってみようという
  ようなことは決してしません。絶対に成功するのだということを、
  確信してやるのです。何が何でもやるのだ、
  という意気込みでやるのです。(p148)


 ・人間は、行きづまるということは絶対にないのです。
  行きづまるということは、自分が「行きづまった」と思うだけのことです。
  自分で「行きづまった」と解釈して、はなはだしい人は自殺するわけです。
  そんなもったいないことだけはしないでください。(p219)


 ・諸君は、単に勉強をするのみでなく、相当の世間の信用を得なければ
  なりません。この塾というものは今後、松下政経塾を卒業した人だ、
  といったら、それだけでハクがつくというようにならなければ
  いけないのです。(p25)


君に志はあるか―松下政経塾 塾長問答集」松下幸之助、PHP研究所(1995/10)
¥490【私の評価】 ★★★★☆:買いましょう。素晴らしい本です
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【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。