松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

「「松下幸之助」運をひらく言葉」谷口全平、PHP研究所

松下幸之助 運をひらく言葉―マイナスをプラスに変える
谷口 全平
PHP研究所 (1998/06)
売り上げランキング: 527,739
おすすめ度の平均: 3.5
2 他と較べてしまうと
5 随所に発見のある本

(私の評価:★★★★☆)


●松下幸之助のすごいところは、伝説の逸話がたくさんあって、それを
 部下の人が伝道しているところでしょう。


 ・何か社員に頼むとき、「このようにしたいんやが、君どう思う」という
  ような頼み方をしていました。(p121)


●これはキリストや孔子にも見られることですが、本人が伝道するよりも
 人伝えに教えてもらったほうが、感動するし信じやすいようです。


 ・きみ、体験には三つあることを知っているか・・・体験自体には大きい
  も小さいもない。体験した人が大きな感受性、感激性を持って受けとめ
  ればそれは大きな体験になる。(p84)


●それに人伝えでは、物語として伝えられますから、聞くほうとしては、
 その場面がイメージできるので、状況に合わせた言葉の使い方など非常に
 参考になるのです。


 ・室町時代に日本にやってきた宣教師たちは、日本語を全く知らなかった。
  それでも、キリスト教を立派に布教していったやないか(p25)


●よく私は、判断に迫られると「松下幸之助だったら、この場面でどの
 ように判断し、どのように話しただろうか・・・」と考えます。必ず
 しも、よい考えが浮かぶわけではありませんが、今までの自分とは
 違った結論、行動になる場合が多いようです。


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・松下は、憲法には普遍性、国民性、時代性が盛り込まれていなければ
  ならないと言い、日本の憲法には普遍性だけであとの二つが欠けている
  と主張していました。(p18)


 ・一つは、根源に対する感謝や。今自分がここに生きているということも
  根源の力のおかげやからね。もう一つは、自分が何にもとらわれない素
  直な心で、自然の理に従っているかどうかを反省しているのや(p43)


「「松下幸之助」運をひらく言葉」谷口全平、PHP研究所(98/06)¥1,470
(評価:★★★★☆)
(詳細)→ http://tinyurl.com/3nvf3

【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。