松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

商売心得帖

商売心得帖商売心得帖
松下 幸之助
PHP研究所 刊
発売日 2001-05-01
価格:¥500(税込)
オススメ度:★★★★★


「経営の神様」松下幸之助が、自らの体験から得た心得をまとめた「心得帖」シリーズ。その第1弾となる本書では、商売や経営を行う上での心得が語られている。
「朝に発意、昼は実行、そして夕べに反省、こういう日々をくり返したい」「商売は結局お互いのため」「まずサービスから」など、日々仕事をするうちに忘れてしまいがちなことが、語りかけるような口調でつづられていく。読み進めるうちにじわじわと心にたまり、商売のみならず人生に対する心構えを学ぶことができるだろう。和紙のような手触りの表紙、手書き風の罫線もあいまって味わい深い1冊となっている。
昭和48(1973)年に書かれたものながら、古さを感じさせない心得ばかりが並ぶ。基本的なものであるからという理由だけでなく、著者の先を見る目があってこそ、そう感じさせるのだろう。「外部に対して手を打たなければならないような情報がすぐに首脳に伝わるような雰囲気を、たえず内部につくっておくこと」などは「ナレッジマネジメント」の発想にもつながる。
本書に書かれた心得を「新しい時代に即した創意なり、工夫」をしながら日々の仕事に役立てるために、ぜひ手元に置いて何度でも読み返してほしい。(門倉紫麻)

ビジネスを始めたばかりの方には・・・ 2005-05-10
松下幸之助文学に関して言うと社会に出たばかりのかたやビジネスを開始して間もないかたにはわからない禅問答のような本です。
表面部分をまねするとやけどします。
わかる奴にしか教えないと、本が発言しているようです
わたしも20才の頃読んでも全然わかりませんでした。
けれども血を吐くような苦労や経験を積んで業績をどうにか伸ばし、気がつけば20年30年たっていたという経験者が読むと心と背骨にすうーっと浸透するという言葉が当てはまる感じです。
伝えたかったのはこういうことだったのか。ということがわかります。
それはまさに履き慣れた靴が自分の足に合うように皆さんの心にがちっとはまるはずです。

とても読みやすい。商売をするにも気持ちが大事。 2005-02-28
結局、優れた人はものの見方が優れている。
商売をするのに何も後ろめたさを感じる必要はないし、それ自体すばらしいことだと思わせてくれる。たとえば、「同業他社と同じ製品を少しくらい高く売ってもいい」という。なぜなら、その値段には売る側の魂が入っているからだ。ほかにも、お得意様がどんなにありがたい存在か。よい人は、「よい価値判断ができる」人。部下の意見を喜ぶなど、同意するところが非常に多かった。しかし、あまりにも読みやすいために、すぐ読み終わってしまって、後に残らない。何度も、読むとよい種類の本だと思う。

珠玉の言葉 2003-08-30
わかりやすい言葉で、時代を問わない真理をつく―松下幸之助氏は世界に誇れる経営者であり、人徳者である。私は言葉を読んでいて涙するところもあった。すぐに読める。誰にでもわかる。でも、実行できる人は少ない。彼の、経験に基づいたひとことひとことが胸を打つ。こんな社長だったら誰でも付いていきたいと思うだろう。今の政治家にこれを感じる能力があるのか。特に、「夫婦が仲がいいと、経営もうまくいっているところが多い」の言葉に、この人の、人を見る目の鋭さを発見。人間は、つまり、脳だけではなく、ハートと身体でも生きているのだ。日本語で読めることを感謝する。会社の社員教育にうってつけだ。「社員心得帖」とあわせてよみたい。


もっと詳しく⇒


【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。