松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

実践経営哲学

実践経営哲学実践経営哲学
松下 幸之助
PHP研究所 刊
発売日 2001-05-01
価格:¥500(税込)
オススメ度:★★★★★


「人間は生成発展という自然の理法にしたがって、人間自身の、また万物との共同生活を限りなく発展させていく権能と責務を与えられている万物の王者である」
なんとも伸びやかな「性善説」と厳しい責任意識であろう。その両方に立脚する人間観に貫かれた「経営の神様」松下幸之助の経営哲学に、読む者はたっぷり啓発される。
「すべての顧客に安価な物資を大量に」という松下電器創業時の著者の哲学は、昨今の「顧客をターゲティングして収益率をアップし、事業内容を絞って経営効率を上げる」といった経営手法と相反する発想ではある。しかし、すべての生態系につながる産業活動を自覚した著者の宇宙観には、世紀を越えるダイナミズムがある。本書で論じられることの多くは、「対立しつつ調和しよう」「とらわれぬ心でありのままを見、なすべきことをなそう」など抽象度が高く、即効性のあるビジネス戦略とは種を異にする普遍的「精神哲学」である。
それも不思議ではない。著者は、事業経営は俗事であると思われがちだが、経営者の精神があればそれは芸術たり得る、という理念の持ち主だからだ。確かに、哲学不在の「夢」は普遍性なき私的「欲」の域を出ず、人や時代を動かす力においては卑小だろう。「計画」や「目標」を越えた理念や哲学を自分は持つか。大きな活動を機動、推進し、人を動かす「精神」がそこに存在するか。本書を手にとった現代の起業家、経営者諸氏は、けっきょく、この自問に帰着するのではないか。
既述のとおり、昨今の「Focus&Deep」の潮流とは相容れぬ発想も含む「水道哲学」をはじめとした理念に、思わず古式ゆかしい香りを嗅ぎ取ってしまう若いビジネスパーソンも多いだろう。しかし、本書を読む意味はむしろ上に挙げた「自問」にある。21世紀の経営者こそ必読の、経営のロマンを思い出させる1冊である。(石井節子)

目から鱗が落ちる経営指南書です 2005-02-24
松下幸之助という大人物が書いたものですが、内容は分かりやすく誰にでも親しみやすい文章です。著者自身の60年以上に及ぶ経営の経験に基づいた「心構え」が書かれています。
私自身、サラリーマンとして生活していますが、この本を読むと経営者であれ被雇用者であれ一つの
会社として共通の目的を持ち、その達成に向けて継続的に努力する事の意義がいかに大切であるかが
認識されました。
これまでの「会社側は」という考えが大きく変わります。この本は自分で経営をしようという方や経営に興味がある方、最もお勧めするのは就職活動をされて
いる学生の方ではないかと思います。これから社会に参加しようとする段階で、経営者というものの考え方が分かればきっと会社選びにも
プラスになると思います。通勤通学にもってこいの1冊です。

ものごとの本質をとらえる 2003-05-31
現在では金儲けと聞くと「悪」という発想に繋がりやすいが、経営というものは本来、人や地域または国というもの全てをより良い物にしようとものである。しかし、舵取りを一歩間違えばそれは180度逆の方向に動くし、そうなってしまうケースもすくなくない。やはりそこには哲学が必要だと。そしてsの哲学を誰よりも強く、そして厳しく考え抜いたのがこの松下幸之助ではないだろうか?
 この本を読めば彼の経営哲学がいかに優れているか、そしてそれを守ることが難しいかが分かると思う。一度読めば経営というものの考え方が大きく変わるのは間違いない。彼の人間性あふれる一言一言が、世の中を良くしていきたいという事に繋がっているのだと思う。


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【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。