松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

人生心得帖

人生心得帖人生心得帖
松下 幸之助
PHP研究所 刊
発売日 2001-05-01
価格:¥500(税込)
オススメ度:★★★★


9歳で奉公に出され、幼いうちから商人としての躾を受けることができた。
体が弱かったがために、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。
学歴がなかったので、常に人に教えを乞うことができた。
九死に一生を得た経験を通じて、自分の強運を信じることができた。
松下幸之助の人生は、自分に与えられた運命を積極的に受け止め、前向きに生かすことで切り開かれていった。本書は、90歳を迎え「未だ人生修行の途上」と語った松下が、人生の折々に感じた雑感をつづったもの。「人事を尽くす」「世と人と仕事に感謝する」「自分を超えた存在を意識する」「強い願いと素直な心によって天分を見出し、それを活かしきることが人生における成功をもたらす」など、平易で穏やかな語り口は修身の教科書を思わせる。が、そこには厳然とした哲学が横たわっている。彼にとっての使命が仕事であり、日々の心得が偉大なる業績に収斂(しゅうれん)していったことを考えれば、日常体験に基づく考えが彼の経営哲学を築いたと言えるのではないか。
明るい運命論者である松下は、人生を「大海原での航海」にたとえ、自然の理法に逆らわなければ、何事も可能であると言う。彼にとって、仕事がもたらした名声は理法にかなって当然であった。むしろ、「奥行きが深く、複雑で微妙な人生」と言った彼の生きる喜びは、天分を探してもがき苦しむ中に感じた「おもしろみといい知れぬ味わいのひそみ」にあった。その人生は「大海原での航海」というよりも、むしろ9歳で後にした郷里を悠々と流れる「紀ノ川」のようなものであったのかもしれない。自然の理法に身を任せながら万物を吸収して力強く流れた一生に、何か妙なるものを見るのである。(松本肇子)

人生の指針の書物 2005-07-03
松下幸之助翁が、人生において感じた雑感をつづったものです。平易で穏やかな文章は松下哲学としての積極的人生と運命論を語っている。第1話では人生を「大海原での航海」にたとえ、自然の理法に逆らわなければ、どのような困難にぶつかろうともおのずから道はひらけると語っている。生き方の指針として、毎日1話ずつじっくり味わいたい書物です。

この値段にしては読む価値あり! 2004-03-30
松下流が他の自己啓発書と違う一番のポイントは、他のナポレオンヒルやマーフィーなどが、「何でもできる、誰でも成功できる」と謳っているのに対し、松下流は「人のできることは10~20%、あとは運命」という姿勢のところだと思います。「成功とは自分の特質を十二分に出し切ること」という、松下流は他の巷にある自己啓発書とは一線あると思います。

一つの人生の見え方 2003-09-27
松下幸之助という人がなぜここまで偉大な人間として称えられるのか、それはこの本の中にゆるやかに流れているそもそもの人生観が土台となっているのだと感じました。この本を読んでその生き方を真似する必要はないし、一人の人間の価値観が語られている一冊の本に過ぎないのかもしれませんが、この本と出会い大きな何かをつかむ人が必ずいると思います。大きな字で読みやすく、一つのトピックは少しの時間で読めるようになっていて、忙しい毎日の中に暇を見つけ、読み終えるたびに何かを考える時間も十分あると思います。時間をかけながらじっくり読めば、深く心に残る一冊ではないかと思います。


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【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。