松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

社員心得帖

社員心得帖社員心得帖
松下 幸之助
PHP研究所 刊
発売日 2001-05-01
価格:¥500(税込)
オススメ度:★★★★


日々、技術は目覚しく発達し、社会は急速な変化を遂げている。ビジネスパーソンは、常に時代の進展への対応が求められ、彼らのために書かれた自己啓発本やハウツー本が次から次へと生まれている。そのたびに使われる新たな言葉は、まるでまったく新しい概念が生まれたような錯覚を引き起こす。確かに、社会は変化している。しかしながら、人間が本質的に心得ておくべきものはそれほど変わってはいない。
本書には、ポジティブであるとか、クリエイティブであるというような言葉は登場しない。代わりに、「好きになる」であるとか、「創意工夫」といった言葉で、新入社員、中堅社員、幹部社員に、働く喜びや生きがいをより豊かに味わい、自己の能力を高めるための心得を説く。著者の言葉は丁寧で美しく、それでいて厳粛で、姿勢は常に前向きである。読後に背筋のすーっと伸びるようなすがすがしさがあるのは、その姿勢のみならず、著者の丁寧な日本語によるところが大きい。真摯な気持ちで味わえる自己啓発本である。(金田地栄子)

当たり前のことなれど 2005-06-15
会社員として勤めていくのに当たり前だけど、大切なことがわかりやすく、短くまとまっています。
ここに書かれていることは決して特殊なことではなく、誰にでも通用することばかりです。けれども多くの人はなかなかできていない。
当たり前なことをしっかりとできてこそ社会人。
気持ちを新たにできる1本です。

前向きに働くための心得 2005-02-16
 本書は、
第1章 新入社員の心得
第2章 中堅社員の心得
第3章 幹部社員の心得
の3つの章から構成されています。 読者によって、それぞれ何かしら得るものがあると思いますが、
特に注目していただきたいのが「第1章 新入社員の心得」です。 今の職場と縁があったことに対して「運命と観ずる覚悟を」、
「会社を信頼する」、「会社の歴史を知る」、
また、周囲の人間関係について「礼儀作法は潤滑油」等が、書かれています。 最近のスグに仕事をやめてしまう、すぐ愚痴をこぼす、
やたらと転職転職というような年代に、是非とも読んでもらいたいです。
 
 しかしながら、「自己の利益ばかりを考える」というような世相を生み出したのは、
一体、何なのでしょうか? 誰なのでしょうか?
 その責任の一部は、上の世代にもあるのではないでしょうか?
 
 そういう観点からは、つまり「中堅社員」「幹部社員」の方々にも、
初心を思い出す気持ちで、心して「第1章 新入社員の心得」を読んでいただきたいのです。 「働く」期間を通して、本書は、様々な示唆を私たちに与えてくれると思います。

なるほど 2004-04-20
多くの人が尊敬する松下幸之助さん
幸之助さん自身が常にこういう心がけで仕事に取り組んでいるんだと
改めて凄いと思いました
話もとても丁寧に書かれていて僕と対話をしているような
感覚になってきます皆さんも読んでみてはいかがですか!


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【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。