松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

松下幸之助 夢を育てる―私の履歴書

松下幸之助 夢を育てる―私の履歴書松下幸之助 夢を育てる―私の履歴書
松下 幸之助
日本経済新聞社 刊
発売日 2001-11
価格:¥530(税込)
オススメ度:★★★★




経営の神様の真髄に触れられる本です 2005-06-18
ご存知「経営の神様」として知られ、丁稚奉公から松下電器産業、松下電工はもとよりPHPといった企業までを立ち上げた松下幸之助氏が、日経「私の履歴書」に昭和31年、51年に残した文章をまとめた本です。
「経営の神様」といわれるだけあって、印象的であったのは、幸之助氏が「経営は芸術である」と捉えていたこと。これは、「例え、不況期であっても、良い経営をしていれば、利益は上げられると考えていたこと」「技術にすぐれた外資との提携に技術指導料を支払う代わりに経営指導料を要求したこと」等のエピソードから伺えます。ただ、その経営手法は合理性一辺倒で非人情的なものではなく、不況期の全国販売店会議に、最高責任者である自らが出向き、販売店社長の話に耳を傾け、松下に非があれば素直に認めるといったものであったことも印象的でした。
同様の本田宗一郎さんらの本に比べると、面白さでは見劣りしますが、真に経営を考えたい方にはお奨めの本です。

「松下」についての入門書 2005-02-15
 この本は、松下幸之助氏のペンによる本です。
 内容は、松下幸之助氏の人生(履歴書)と、
氏と一心同体である松下電器についてとが、バランスよく書かれています。
 この本の素晴らしいところは、松下幸之助氏と松下電器の距離感が非常に近いので、
松下幸之助氏について、松下電器についての両方を、
ストレス無く知ることができるところです。
 また、著者の語り口は、とても親切で読みやすいです。
 著者の人格がにじみ出ていて、私は、素直に自然と、頭が下がってきます。 松下幸之助氏あるいは松下電器をテーマにした本は多数あり、
また、松下幸之助氏は、たくさんの著書を出されています。
 そんななか、「何から読めばいいのかな?」、「どこから手を付けたら?」という人も多いと思いますが、
私なら、この本を「入門書」として、強く推薦します。 余談ですが、この本を読んで松下電器歴史館へ行くと、「とても感動すること、間違いなし!」です。

松下幸之助の人づくりに見る経営哲学と教育理念 2002-05-02
「経営の神様」と言われた故松下幸之助氏は、家運の傾いた家に育ち、学歴もなく、健康にも恵まれなかった。しかし、この「ハングリー精神」を元に、その後の成功は目覚しいものであった。松下電器産業およびそのグループ企業の経営と、晩年の松下政経塾開塾は多くの人に衝撃を与え、手本とされてきた。「松下電器は人をつくるところです。」と語り、人間関係を重視していた。この書籍は、幸之助の人づくりの真髄に触れることが出来る。


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【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。