松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

松下幸之助「一日一話」―仕事の知恵・人生の知恵

松下幸之助「一日一話」―仕事の知恵・人生の知恵松下幸之助「一日一話」―仕事の知恵・人生の知恵

PHP研究所 刊
発売日 1999-04
価格:¥720(税込)
オススメ度:★★★★★




人間としての心の常備薬 2005-08-27
~若く苦労や挫折のない大学出の人間は、この本を読んでも何も感じないだろう。
苦労して経営して、今月も倒産しなかったと胸をなで下ろす経営者にぜひお勧めする。
他の書とは違い、逃避することなしに現実と向き合いその向き合った中で新しく発見をしようとするところに、「苦境に立ち向かってこそ、新しく切り開いた者が見える」と爺は教えてくれている。$N~~$悩んでいるとき、平穏無事なとき、苦しいとき、うれしいときこの本を開けば解決の糸口のヒントになるだろう~

指導者への365の助言 2004-11-10
見開き半ページに一話が掲載され,365項の日めくり指導集。職場の机に置いて,一日一項づつ読んでます。松下幸之助さんの指導者としての心得を読めます。上司から部下への指導が不足する職場では,貴重な勉強です。末尾に内容別の索引,引用文献があるので,読みきりではなく,末永く持てる本と思います。

人間を重視の松下幸之助 2003-01-24
現在、松下電器産業「ナショナル・パナソニック」のブランドはゆるぎないものとなっている。ではなぜ戦前・戦後において松下は成功したのだろうか。その秘訣は、生産・技術よりも人間関係を重視したからに他ならないと思う。幸之助は、「人をつくる」ということを常に考えながら経営・研究をしていたことを、この書籍から読み取ることが出来る。


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【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。