松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

[新装版]上司の哲学 |江口 克彦

[新装版]上司の哲学[新装版]上司の哲学
江口 克彦
PHP研究所 刊
発売日 2004-10-09
価格:¥1,000(税込)
オススメ度:★★★★★




人の上に立つ人に読んでいただきたい 2005-04-25
あなたは、部下に ”夢を与えているだろうか?” 
第1則は 夢を与える なのである。
戦後は、驚異的な発展をしてきた。なぜか? それは、夢があったから。
第20則の 運をつかむ  まで 人は幸せになりたいと思っている。
仕事は、手段であるとドラッカーも言っていたが
この本は人生を豊かに過ごすためにはどうゆう考えを持つかを
世界の松下の松下幸之助という経営の神様の行動哲学を
明瞭に、ふと私たちが悩んでいる時 ”なるほど”と気づかされる本。少しでも上に立つ人には必読である。
アメリカの後輩にも勧めました。

リーダーになる人に、リーダーとして悩む人に 2004-12-30
私が20代にしてリーダーとなった時、「人」の面だけはどうにも苦労した。
そんなとき、ある人から贈られた本。一代にして大電器会社を築いた松下幸之助。
優れた製品を次々に「水道から水が流れ出るがごとく」産み出す松下電器産業。学歴も無く、体も弱かった松下が、なぜこれだけの大事業を成せたのか。
如何にして多くの優れた人材を「魅き付け」、動かしたのか。
「二股ソケット」などを発明したアイデアマンとしての松下幸之助とは違う、成長する会社のリーダーとしての松下幸之助の有り様。リーダーシップとは何か。
上司とは一体何か。それを、松下幸之助と、松下電器産業という会社を通して、松下の傍に居た著者の考察を加えて、分かりやすく、現在の私たちがすぐにでも実行できる、松下の実践を紹介しながら、書かれた本。小さなバッグにも入る新装版の他に、文庫、ハードカバーもあります。

上司も常に成長を 2004-11-07
経営の神様・松下幸之助の側近として、実に22年間、経営哲学を学んだ著者のリーダー論。大経営者のサクセス・ストーリーのような華々しいインパクト(それが良いかどうかも疑問だが)は無いが、理想の上司に教えられた立場の人が書くリーダー論であるだけに、部下の気持ちを非常に的確に捉えている。1989年に没した松下幸之助は、今日のインターネット社会は直接体験されなかったわけだが、その精神は21世紀の今も引き継がれており、本書もその役割を担っている。そして、最近の日本人の、特に若い人の価値観の変化をとらえた上で、幸之助翁の考えを微調整している。つまり、本書は単なる幸之助語録に終わることなく、新たな提言をしているのである。「人間的成長あってこそ理想の上司」である、と本書は結んでいる。組織に所属し、多くの時間と労力、知力をその組織に貢献するために費やす以上、そこで成長しなければ、意味はない。上司が先頭を切って成長することで、人も組織も、育つのである。過去に単行本、そして文庫本で出されてきたものを、あらたに「新装版」として、再出版した形になっている。単行本ほど重くなく、文庫本ほど質素ではないうえ、ビニールカバーに栞つきなので、長期間繰り返し読むのには、ちょうど良い体裁と価格設定である。常時携帯して読み返すことのできるリーダー指南書として、身近に置いておきたい。


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【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。