松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

私の行き方考え方―わが半生の記録

私の行き方考え方―わが半生の記録私の行き方考え方―わが半生の記録
松下 幸之助
PHP研究所 刊
発売日 1986-09
価格:¥590(税込)
オススメ度:★★★★


日本を代表する経営者の1人、松下幸之助の自伝。1986年の出版以来、実に36刷を数える超ロングセラーとなっており、数多くの経営者やビジネスパーソンに影響を与え続けている(1998年1月現在)。
内容は、生い立ちから奉公の話、電器事業に巡り合ったきっかけ、見合いの話、創業期の話、事業を拡大した話など、まさに松下幸之助の半生をつぶさに記録している。初めて自転車を1台売った時の感激を記した小僧時代の話や、電気工事人として徹夜で工事に携わった時の話、相手の顔も満足に見ずに結婚を決めた見合いの話、ソケットの研究が思うように進まず、収入の道を断たれた話など、波乱万丈の人生がユニークなエピソードとともにつづられており、読み応えがある。
もちろん、ほかの経営者の自伝同様、経営者あるいはビジネスパーソンの心構えの書としても有用である。著者が戦後の貧しい時代に生まれ育っているため、時代背景やビジネスを取り巻く環境は今日と異なっているが、その骨太な主張から学び取れることは多い。「辛抱しているうちに、たとえそのことが成り立たなくとも、周囲の情勢が変わってきて、そこに通ずる道ができるとか、またその辛抱している姿に外部からの共鳴、援助があるとかして、最初の計画とは大いに相違しても成功の道に進み得られるものである」という、本人の体験から得られた信念や、「商売は時世時節で、損もあれば得もあると考えるところに根本の間違いがある。商売というものは不景気でもよし、好景気であればなおよし、と考えねばならぬ」という教訓は、不況にあえぎ、リスクに直面する今日の経営者にとって、大きな意味をもつのではないだろうか。(土井英司)

松下幸之助さんは不思議な人 2005-11-02
松下幸之助を知らない日本人は少ないでしょう。
その思想や生い立ちを書かれた本は数多く、今もって、全世界に影響を与えている偉人です。松下さんについて書かれた本は、どれも氏を絶賛し、多くの共感を得ています。
もちろん、わたしもそのひとり。しかし、自伝になると、とたんにその輝きを失くした印象があります。
この本を著者の名前を消して読めば、普通の成功者の自伝になってしまいます。
それほど、松下さんという方は、自分を大きく語らなかったということでしょう。
(原案が、従業員向けに書かれたことも理由でしょうが)だからこそ、偉大なんだと思います。自身について、過剰に語ることなく、周りに絶賛されるという、
稀有な存在です。
不思議な人ですね。「俺が俺が」の時代にこそ、見習って生きたいと思います。

是非お読みください 2001-01-23
松下電器、松下電工をはじめとした松下グループ の方はもちろん、全ての社会人の方にお勧めしま す。社会人として働く意欲がわくような一冊だと 思います。


もっと詳しく⇒


【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。