松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

滴みちる刻きたれば〈第1部〉松下幸之助と日本資本主義の精神 |福田 和也

滴みちる刻きたれば〈第1部〉松下幸之助と日本資本主義の精神滴みちる刻きたれば〈第1部〉松下幸之助と日本資本主義の精神
福田 和也
PHPソフトウェアグループ 刊
発売日 2001-11
価格:¥1,575(税込)


気鋭の評論家として知られる福田和也が、松下幸之助の評伝2冊を同時刊行した。第1部は松下幸之助の生誕の地、和歌山・大阪での青春、そして23歳の創業までの足跡をたどっている。
本書が興味深いのは、松下幸之助の成功伝ではなく、あくまで松下のその時々の等身大の人物像が生々しく描かれている点だ。15歳の若き松下は、自転車を販売する仕事をしていたが、その当時、電車が普及してきており、「このままでは、自転車の需要は少なくなってくるのではないか」との危機感を抱く。そこで、電気事業の将来性に注目し、大阪電燈株式会社に転職。15歳から22歳までの青春時代を同社で過ごす。
松下は文字や書物に頼らず、自らの観察力に基づいて物事を理解していき、スピード出世を果たしていく。ところが、20歳のときに病気を患い、会社生活に限界を感じて独立を構想するに至ったという。つまり、不健康でなければ独立していなかったかもしれないのだ。松下の兄弟は皆、20歳前後で亡くなっている。
カリスマ的な経営者として知られる松下だが、独立した初期のころ、製品がまったく売れず、危機的な状況に追い込まれている。だが、1つの注文をもとに、次々と仕事を得ていき、急成長を遂げた。
日本人は今、元気がないといわれるが、松下幸之助の生き方には、時代はまったく違えど、大いに勇気づけられる何かがある。ぜひ多くの人に一読をすすめたい。(玉木 剛)


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【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。