松下孝之助の本を読んでいると、思わず姿勢を正している自分を発見します。

その本はやさしく問いかけてくるのですが、その端々に怖いくらいの力強い思いが含まれているのです。

「松下幸之助の人づかいの真髄」 

松下電器では「人材とは会社の経営基本方針を正しく理解して身につけ、自らその使命遂行に努力し、それを達成する人」のことをいうと明確に定義づけている。


「松下幸之助の人づかいの真髄」 遊津 孟(監修)


●会社で人を評価するとき、どのような基準で評価しているのでしょうか。


●自分が会社の人を見るときはどのような目で見ているかというと、仕事をよく知っている人、仕事にそつのない人、仕事を改善する人などを評価していると思います。


●しかし、今日の名言のように、本来ならば会社の理念、ビジョンを常に意識して行動している人を評価するべきなのでしょう。


読んでいただきありがとうございました!



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本のソムリエ公式サイト発行者の日記

【松下孝之助の生涯】
1894年生まれ。1989年永眠。

和歌山県和佐村で小地主8人兄弟の末っ子として生まれましたが、父が相場で失敗し、小学校を中退、単身、親元を離れて大阪に丁稚奉公に出ます。

その後、自転車店、セメント工場などに務めた後、これからは電気の時代が来ると直感した松下は、大阪電灯(現関西電力)に入社し内線係見習工となります。

そして、22歳の時に会社を辞めて独立。電球ソケットを製作、販売するも、商品が売れずに食費にも困るような苦労をします。

その後、徐々に受注が増え、翌年には松下電気器具製作所を設立。ランプ、アイロンなどを製作し、1930年に非常に故障の少ないラジオの開発に成功し、これで松下の名前は一躍有名になりました。

1933年には事業部制を実施し、本体は松下電器産業株式会社に改組する一方、松下電器貿易、ナショナル電球、松下造船などといった関連会社を次々と設立していきました。

戦後は一時GHQによる財閥解体の余波で生産活動ができない状況に陥りますが、ひとつずつ生産再開の許可を勝ち取り、昭和30年代には完全に復活しました。

その後、1952年にはオランダのフィリップスと提携。1959年にはアメリカ松下電器を設立。松下はやがて世界のパナソニックになっていくのです。

第一線から身を引いた後は、PHP運動を通して真理の社会的実践を目指しました。

1980年には、これからの日本には信念あるリーダーが必要と考え、松下政経塾を開塾。多くの有望な政治家の育成に努めたのです。